「浮島」とは、我々の現在地からの旅の行く先である。
「浮島」とは、我々の現在地となりうる土地である。
「浮島」とは、我々のそれまでの現在地を見渡せる場所である。
「浮島」とは、浮島へと辿り着き、浮島に居住し、浮島から離れていく人々の物語である。

■浮島に辿り着くまで

「浮島」は新潟港に実際に島をつくる計画である。萬代橋と柳都大橋の間に平らな船、台船を組み合わせて島のベースをつくる。その上に人がそこで居住できるように家を、船がつけるように桟橋を、夜でも見えるように灯台を、訪れる人をもてなす広場などをつくっていく。「浮島」の上に何をどのようにつくるかは、事前に行われるワークショップで新潟に住む人たちと共に具体的に考えていく。2008年夏には佐渡両津港、佐渡汽船、新潟港において「浮島への港 A port for the floating island」が起こる。「浮島への港」とは、「浮島」を発生させるためのワークショップや作品展示などの活動であり、「浮島」がどうやってできるか思い描くための出来事である。

■浮島が在る間

「浮島」の上にパーツ(家、道、橋、桟橋、灯台など)が出来上がったら、「浮島」に何人かが滞在する。「浮島」での生活を新潟にいる人々は橋の上から、岸から見る事が出来る。船で近づくこともできるし、もしかしたら上陸することもできる。「浮島」でどのような生活が行われるのか、誰が訪れ、どういう会話が起こるのか、「浮島」が在る間の全てを「浮島」の住人は観察し記録する。

■浮島がなくなっていく


浮島はいつまでもそこには居られない。船の運行、安全面、数多い許可の問題、これらの外的要因からまず居られない。それは「浮島」がその土地にとってあまりに不自然だから起こる問題である。
不自然である「浮島」が新潟に起こり、だんだんとその不自然さがなくなっていく。「浮島」があることがそこの当たり前になっていく。「浮島」がなかった時のことをなんとなく忘れていく。そうして「浮島」の存在に土地が慣れきったとき、「浮島」は一度姿を消す事になる。そしてまたいつか「浮島」は起こるかもしれない。さらにいつか、浮島はずっとあり続けることが可能になり、「浮島」ではなくなっていくかもしれない。



北澤潤プロフィール

1988年東京出身
筑波大学芸術専門学群3年次在籍
2006年より日比野克彦を社主とする明後日新聞社文化事業部の編集長として活動。 2007年佐渡市、新潟市、佐渡汽船を現場にアートプロジェクト「揺蕩う旗なゆた」を起こす。現在進行中のプロジェクトに「無人島/有人島化計画 Un / in habited island」や「病院の中の村 A hamlet in the hospital」などがある。